前略
みなさま、ありがとうございます。
多勢の方々から様々な励まし、そして、多額のご寄付を頂きました。(ご厚志はまだまだ続いております)
去る四月、隠宅「庄屋」に蔵っておいた活動記録・書籍・映像・音像等の資料の殆どを任意団体「由布院の百年・編集サロン(仮称)」に寄託しました。唯今、ボランティアや応援の方々が手探りで運営を始めております。向う三年で「編集サロン」を軌道に乗せ、私は悠々「楽隠居」に籠る予定です。それまでみなさま、いやそれからも、どうぞご機嫌よろしく、サロンにお遊び下さいますよう、お願いいたします。
くすの木千年 さらに今年の若葉かな 井泉水
荻原井泉水(一八八四~一九七六 )東京市芝区明神町出身、無季自由律俳句を提唱した俳人。別府観光の巨人、怪人、油屋熊八翁に俳句を教えた人。大正の頃、油屋が拓いた由布院・亀の井別荘に蛍の句碑が在る。
棹すてゝ 蛍の岸をながれけり 虻蜂
金鱗湖に川舟を浮かべ、玉の湯の辺りまで川を下る。両岸に蛍が飛んでおった。棹なんざ捨ててゆっくりと流れていったなあ。今、川は頑丈な岸壁に守られて、村人の家が浸水することはなうなった。同時に川舟の遊びも消えました。虻蜂はアブハチ、油屋熊八の雅号。
それに師匠が軒号をおくった。「両捉軒」、虻蜂とらずにならないように…両方捉えるという洒落ですわ…。
その井泉水師にお逢いしたのは一九六〇年代、私が東京の仕事を辞めて父の宿屋の跡目を継いだ頃です。そして書いて下さった軸が
くすの木千年 さらに今年の若葉かな 井泉水
先号は創刊だったので、茫洋と航海日誌の前書きふうに書きましたが、今号は既に出航して海の上です。みなさまから頂戴したご支援と励ましに敬礼して、お礼を申さないと「文章」にならず「人で無し」になります。「人で無し」にならない道は唯ひとつ、庄屋界隈をすっぱり投げ出して、みなさまに「しみじみ・ワクワク」の時間を紬いで頂くことであります。
オヤオヤ、昔運動会でドンケツだった軍国少年が八十五歳になっても、力を籠めると長州・山口ふうの陸軍言葉になってしまうのであります。なるたけ郷土由布院の「盆地言葉」に戻っていこうと思いますけん、宜しゆお願い申します。
あとの編集仕事はヒラノ外のスタッフたちが請け負うと思いますけんど、由布院盆地の津江・岳本集落の壮年たちが一杯機嫌でシャベる「連載座談会」は、世界を押し流す資本の大水(オオミズ)に立ち向かう力を秘めておると思うのです。近隣の大山町農協長のセゴやんこと矢羽田正豪氏共々、ヤオイカン―柔くはイカン人たちです。うーむ、わが編集サロンの役目は、世界中のヤオイカン人たちに登場願うて、資本の大水(オオミズ)の片隅に樹を植え続けることじゃあるまいか?樹が生えれば鳥も来るし、雲古の種から花も咲きます。「その前に原子か、水素が爆発して地球が弾けるかもしれんなあ」などと、村の共同湯でウンチクを傾けておられた戦場帰りのオヤジ達も粗方消えてしもうた。
そうだ、庄屋サロンの温泉風呂は大きいぞ、四~五人はゆっくり這入れるぞと、湯気の向うに、もうビールの泡をみよるのであります。そうだ録音機を持って風呂に這入ろう。
「由布院の百年・編集サロン 通信vol.2 古い記録を、新しい記憶へ 2019.9」より