コロナが登場して、世の中デングリ返った…。
そう思っていろいろアレコレ考えました。
で結論は「あんまり変わっちおらん」いや、まるで「変わっちおらんのう」です。溜め込んだ五十年間のメモ・日記・記録の類いに、手紙のやりとり、そして思い出ボロボロを混ぜ込んでみると、そのことがよく判ります。
盆地の緑は日に日に濃くなってゆき、黒かった土が水色に光り始めました。
ある日、村人が登場して、景色は一気に早苗の色に変わります。うむ、変わってゆくこともあるぞ、なんとかしなくちゃあ…
旅館のお客様は激減しましたよ。
「お客様じゃなうで、コロナ運搬人じゃ」そんな噂はまもなく消えるじゃろうけれど、そのあとのお客様の気分もまた変わるじゃろうなあ…。
「むさぼらなくなる(なろうよ)」と思う。「欲しがりません勝つまでは」じゃない本物の「悠々気分」だよ、それがやってくる。
「悠々気分の時代」を創ろうよ。そんな運動なら増え続ける老人たちにも、加勢応援ができるぞお…。「深夜まで営業しようよ」の応援じゃあなくて…。わかり易く言うと「やすらぎの里」を創ろうよ、の話です、テレビ番組で高視聴率だった…。
あの中に八千草薫さんが登場しておられた。良い人でした。
六十年ほど昔、撮影所で一本だけ仕事をご一緒しました。「旅姿鼠小僧」。稲垣浩監督、鶴田浩二、草笛光子、八千草薫主演の時代劇です。
お三方共に超過密のスケジュールで、撮影は深夜早朝のメチャ 押し、現場は「変更」「訂正」のブッチギリ状態だった。そんな中で、ひと言も「ボヤカなかった」のはヒトミちゃんだけ。(ヒトミちゃんは八千草さんの本名です)。
そんな八千草さんが、昨年、わが「庄屋サロン」の会員になってくださった。岡本みね子さん(故岡本喜八監督の未亡人)の第一回監督作品「ゆずり葉の頃」の湯布院上映のご縁もあって…何とも残念。口惜しいご逝去でした。ご冥福を祈ります。
所で「やすらぎの里」だけれど、五十年ほど昔、志手、溝口、中谷の由布院三青年が新しい温泉地構想を求めて、ドイツに旅をした話は有名だけれど、その時頼った先はフランクフルトの療養別荘でした。そこに中谷の友人の友人、P・クローメ氏(ドイツ・シュピーゲル誌編集長・当時)の父上が滞在、療養しておられた。
赤頭巾ちゃんが出てきそうな森の中に花咲き乱れ、鳥唄い、風爽かで、畑もあって…水辺には小さなクリニックがありました。(コロナ禍で有名になったドイツのクリニックです)
こここそがドイツの「やすらぎの里」であったのです。その「やすらぎの里」が今も由布院に出来ていない。なぜか?
(以下次号)
「由布院の百年・編集サロン 通信vol.3 古い記録を、新しい記憶へ 2020.6」より