僕らが今から約五十年前にドイツの保養温泉地バーデンヴァイラーを訪ねたとき、
「昼間の自動車も保養の町では遠慮してくれ、夜はもう走らんでくれ」
というような訴えを町から郡に対して行っていた。そしてそれがついに勝った!という喜びの日に僕らが行ったので、町をあげての大騒ぎだった、というような報告書を書いておった。
僕らはそのつもりで、(由布院に)帰って来ても、「あの素晴らしいバーデンヴァイラー、緑を守り・静けさを守る」という情報に興奮して、その後、町づくりの運動をやった。その運動が、昭和五十年の地震の後に、いろんな企画になって盛り上がってきたのです。
その後、NHKの「プロジェクトX」という大げさな番組のスタッフたちが、僕らの話を聞いて興奮して、「現場に行ってみなきゃ」というんで、NHKを説得して、バーデンヴァイラーまで撮りにいったわけ。その結果、わかったことは、僕らはとんでもない聞き違いをしておって、僕らが行ったときに「わーっ」と騒いでいたことは間違いないのだけれど、それは町ののぼせモンたちが「町を静かに」運動を起こして、バーデンヴァイラーの議会を乗せた。「昼間は昼寝の時間だから車を走らせるな。夜は眠る時間だから車は通さないゾ。エイエイオー」って盛り上がって、僕らはその人たちを頼って行ったもんですから、その人たちの話だけが耳に入って、僕らも興奮して「クルマ・ノー」と叫んでしまった。
「ところが」という話は、そのNHKの正しい通訳によってわかったんですが、「実は町が負けたんだ。郡が勝ったのだ」と…。いくら町が「昼は通さない、夜も通さない」と言ったって、町の道は郡の道に通じてるんで、「そうはさせんぞ」と、郡の裁判にかかったんだそうです。ひとつの町が郡道ともいえるものを閉鎖するなんてありえん、「ダメーッ」とやられて…(笑い)。
僕らが「勝った勝った!」という騒ぎに出会ったのは、その裁判に勝った「郡の方々」の騒ぎだったんです(笑い)。「郡が何だ! 町の自由こそ」と騒いでいた人たちはその辺りにいなかった(笑い)。
ただ、怪我の功名っていうか、僕らは興奮していたからそんな誤解をしてしまったんだけど、あれが正しく「町は郡に負けましたとさ」という話で伝えられたら、由布院に帰って「町の静けさを守れ!」というむちゃくちゃなエネルギーにはならなかったろうと思う…。これは歴史の皮肉っていうか、先日おいでになったお二人とは、そんな話をして大いに盛り上がりました。
お二人の話では、今、バーデンヴァイラーはたいへんだと。あの頃僕たちが聞かされた話はね。健康の為の保険を国が強制的に掛けさせて、使わなければゼロになりますよ。それを使って国民宿舎や温泉で保養してくださいという「予防保養」のシステムが強かった。バトナウハイム、ベリンゲン、クロッチンゲンなどの温泉地もそうでした。でも、その後、そんな一律の楽しみ方が、だんだん落ちてきた。むしろ、美味しいものを食べて目新しく遊ぶ、温泉もいろいろある、という日本的な温泉観光地の方が人気になってきている。税金と保険で使える一律の温泉保養地は利用者が減ってきている状況だと言うんです。
僕たちはいまだに、昔のドイツ型の保養地に憧れて、水と緑を増やそうよ、なんてやってますけど、そう言わんとならんほどに樹をじゃまにして切ってしまうんですよね、村の風習は…。昔は由布院でも場所によっては防風林として樹を植えていたんだけどね。
そんな意味でバーデンヴァイラーは今も私たちの夢の町です。子供の代までね…。(拍手)
「由布院の百年・編集サロン 通信vol.3 古い記録を、新しい記憶へ 2020.6」より